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「自由人」として生きることの代償

どーも

MASAです。

 

世の中の「常識」と呼ばれるものの多くは、疑ってかかった方がいいと思ってます。

 

だってそもそも僕らは「常識外」の生き方を望んでいるはずです。

 

・お金の心配をせず
・好きな時間に起きたい
・好きなだけ旅をしたい
・誰にも雇われず好きな場所で仕事したい

 

これらは全て「常識外」であって、世間から見ると「非常識」であり、「異常」です。

 

世の中の9割以上の人が、
どこかにお勤めをしていて、

 

・お金の心配ばかりをして、
・決まった時間に起きなくてはいけなく、
・旅行は行けても夏と冬のたった数日間のみで、
・誰かに雇われ、決まった職場に出勤しなくてはいけない。

 

これが日本の世の中の「当り前」であり、「常識」です。

 

良い、悪いではなく、

多数決で多数派の意見が「常識」となります。

 

みんながアメリカ兵をぶっ殺すなら、それが「常識」となります。

それが70年前の日本です。

殺人すら「常識」になります。

良い、悪いではなく。

 

で、

やはり僕らの自由な生き方は少数派であり「非常識」です。

驚くほど世間の「常識」と逆をゆきます。

だから、僕らの考えや行いは「非常識」です。

なので、世の中のほとんどの「常識」には従ってはいけない。

 

「右向け右」でみんなが右を向いているのなら、自分は左を向かなくてはいけません。

みんなが右を向いているのに、自分だけ左を向く事は非常に勇気が要ります。

 

自由な生き方を手に入れるのに代償があとするなら、

一般世間の「常識」に逆らって生きるので、その層からは理解を得られませんし、時には批判の的になることもあるでしょう。反対されることも、邪魔をされることもあるでしょう。

でも、それでも自由に生きる「非常識」な生き方がしたいなら、

今の世間の「常識」を無視して生きる覚悟が必要です。

 

「常識通り」生きるのは、誰からも批判はされないですし、精神的にはラクでしょう。

だけど、そんな人生楽しいのかな?って僕なら思います。

いや、楽しいのか楽しくないかというよりも、何も考えずに生きてるからそれすら分からないんでしょう。

僕は絶対に嫌な生き方です。

 

 

「非常識」な生き方って、時には辛いです。

 

たとえば親。

僕の親は完璧な「常識人」です。

サラリーマンで、数十年もお勤めの仕事を続けていて、、、

あとは上記で書いた不自由な状態と同じです。

 

なのでやはり僕の「非常識な」生き方には、どうも理解も納得も出来ず不安なようです。

 

親が望んでいる僕の生き方は、

 

・親の近くの北海道の田舎に住み、
・それなりに大きな企業に雇ってもらい、
・早々に結婚しろ。

 

そんな生き方を望んでいるみたいです。
親の「常識的」発想では、それが一番安心みたいです。

 

ですが、僕は完全に無視します。

当然ですが全く魅力を感じませんので、そんな事はできません。

 

産んでくれた事、育ててくれたことは感謝しています。

しかし、

 

僕は親のために産まれたのではないし、
親のために今生きているわけでもなく、

自分のために自分の人生を生きています。

 

「自分が自分のために自分の人生を生きなければ、誰が自分の人生を代わりにいきるのだろうか」

 

ここの部分は僕の両親とは一生分かり合えないと思います。

表面的な部分はある程度理解してもらっているつもりです。

ですが、根本的な物事の捉え方や人生観などの本質的な部分は一生分かり合えないでしょう。

 

親子関係でそれなのですから、友人関係や知人レベルの関係になると、もっと顕著になります。

それが「非常識な生き方」としては辛いところかなと思います。

 

 

さて、それでも自由を追い求める覚悟はあるでしょうか。

 

「ロックンロール」は音楽ではなくライフスタイルのように、

「自由人」というのも若者の憧れのキーワードではなく、覚悟と自己責任をもったライフスタイルです。

 

 

ということで

今日はここまで!!

感謝と心を込めて

MASA

 

 

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